松尾みどり
みどりの泉

みどりのお便り
9月22日

先日の大阪レクチャーにはお暑い中、遠方からまた初めての方に
多数ご参加いただき本当にありがとうございました。
皆様方と楽しい時間を過ごす事ができました。

25日福岡・10月12日東京では”仏法に咲く救いの華”
というテーマでレクチャーを行います。
「いま」を生きるために仏の智慧を説き、
自分の迷いを解放するはずの宗教が、時代や地域によっては
戦争や権力掌握に利用された事もありました。
純粋な信仰心が権力者による人心のコントロールに使われ、
人々は自分の「救い」を外的な力に頼るようになりました。
果たして「私の心の迷い」から解放されるとは
一体どんな事なのでしょうか?
今回は信仰と依存の大きな違いに焦点をあててみたいと思います。
スッキリと霧が晴れたように
あなたの目の前には輝くような世界が広がるでしょう!
どうぞお楽しみに!!

9月5日          遅めの夏休み

台風17号の強風が通り過ぎた後、ちょっと遅めの
短い夏休みをとり信州、八ヶ岳へと出かけてみました。
空は台風一過で素晴らしい青空、
風と土がもうすっかり秋の薫りをしています。
山野には若いススキやコスモスが咲き
「7回かまどに入れても焼け残る」という「ナナカマド」は
素敵な赤い実を付け、紅葉のドラマが始まっています。
日頃、都会のコンクリートジャングルで暮らす私たちは
季節を直接肌で感じる事が少なくなっていますので
こうして自然と触れ合い、語り合う事は
確かに私たちの「直感」を高めてくれます。
「うわぁーっ、何て美しいんでしょう!!」
たったこれだけの事でも、感動すると心も満腹で幸せになります。

撮 松尾みどり 撮 松尾みどり
撮 松尾みどり
パラグライダー体験

帰りに立ち寄ったパラグライダーの半日体験は実に
エキサイティングでしたが、ある「ショック」な事も体験しました。
スキー場を利用した急斜面の中腹からインストラクターに
従って飛び、落下点からまた出発点まで
パラグライダーを担いで登らないといけません。
その途中、日頃の運動不足が足運びに現れてきた瞬間でした。
「あれ〜っ、こんな筈じゃなかったのに!」と感じつつ
大汗をかいてハァハァと息が上がる私を見ていた
インストラクターから「もうちょっとですよ、でもこの辺で
休憩しましょうか?」と言われ、ガックリきてしまいました。
日頃は皆さんに「年齢なんて気にするな!」と言ってきた
私でしたが、こんな時には「えっ、まさか年のせい!?」と
ドッキリするやら「イヤイヤ、単なる運動不足!」と反省するやら。
たまにはこうして自分をドッキリさせるのも
必要である、と知ったのでありました。
それにしてもその後の体の軽さと爽快感は格別でした。
皆様も年齢を問わず一度はお試しあれ!!

8月17日

まだまだ暑い日が続きますがお元気ですか?
バースデーメッセージや暑中お見舞いを多数
頂きましてありがとうございました。
この場をお借りして御礼申し上げます。
また”夏の思いで”にもたくさんの反響をいただきまして、
本当にありがとうございます。
子供の頃の思い出というのは
いくつになっても忘れられないものですね。
幼少期と大人になった現在とでは環境や人間関係は
変化していても、意外に自分が感じている事や考え方、
行動パターンはあまり変わっていないのかもしれません。

20日(金)東京・青山ダイヤモンドホールでのレクチャー
”あなたの「存在」、どこにありますか?”では
あなたがあなたの存在価値をどこに置いてきたのか?
その原型を造って来た子供時代に遡って
自分自身を確認するワークを行います。
あなたのあなた自身に対する「思い込み」が
大きく変わるかもしれません。
当日は筆記用具をご持参の上、是非ご参加ください。

8月12日       夏の思いで  その2

特に、当時長崎に住んでいた私は
精霊舟をお御輿のように担いでジャンジャンとドラを鳴らしながら、
街中を行列して練り歩くお祭りが楽しみでした。
爆竹は鳴るわ、ロウソクが倒れて提灯や舟が燃えたりするわで
目の前を次々に流れ歩く騒々しい精霊舟に
「霊もさぞかしはしゃいでいるのではないかな」と、
勝手に想像したものです。
長崎は昔から中国人の華僑が多くその影響で
盆祭りも派手で賑やかなものでしたから、
お盆とは霊が来て飲んだり騒いだりするものだとばかり
思っていました。その後、父の仕事の関係で
福岡に移り住んだ時はそんな派手な「盆祭り」などなく
ちょっと寂しかった記憶があります。

日本には様々な「御魂まつり」がありますが、
そのルーツのほとんどが外来の文化に由来したものが多く、
これもこの国が世界人種の混合の国(世界のひな型)と
言われる所以なのでしょうか?
例えば京都の夏祭りで有名な八坂神社に奉納する祇園祭は、
元々イスラエル(ユダ)の「シオン祭り」に由来するもの。
他には5月の連休に博多の街を彩る「どんたく祭り」も
ホリデー(休日)を意味する「ゾンターク」という
オランダ語から由来したものです。
日本人には世界中の祭り・風習を自国の文化に同化させ
独自の形に折衷加工できるずば抜けた才能があります。
特に日本の伝統文化の中には
ユダヤに由来するものがしっかりと根づいています。
朱塗りの鳥居を持つ神社は
八幡宮と呼ばれ、
これもユダヤ(モーゼ時代)の行事に習ったもの。
本来は「はちまん」ではなく
エホバをもじって「ヤハバ」と呼んだものでした。
こうして形を変えて神道の国に溶け込んでいったという訳ですね。

そして最後にお盆と云えば「盆踊り」があります。
この盆踊り、最近では町内会の年配の方々やお子さんばかりを
多く見かけますが、元来若い男女の出逢う社交の場であったとか。
踊りの後にはめでたくカップルが誕生する事も
少なくなかったわけですね。昔の「盆踊り」は
さしずめ現代の「合コン」!?だったのかも知れません。
こうしてみると人はいつの時代も「コミュニケーション(心の交流)」
を求めてきました。「お盆」は祖先や亡くなった死者の魂を
迎えて、その子孫たちと交流し、家族親戚が一同に会して、
共食やお互いの成長を愉しみコミュニケーションをはかる
大切なイベントだったような気がします。
現代の世の中を震撼させるような多くの凶悪犯罪の裏には、
親子でさえコミュニケーションがとれていなかった
事情が浮き彫りにされています。
改めて「お盆」について考えてみるチャンスかも知れませんね!

8月7日       夏の思いで  その1

今年もまた盂蘭盆のシーズンがやって参りました。
終戦記念日とも重なり何かと慌ただしい行事が続く週でもあります。
毎年この頃になると、何故か小学生時代の「お盆」風景が
脳裏を掠めます。仏壇を抱えない生活をしていると
そんなお盆の行事も忘れてしまいがちです。
しかし、私にとっては別の意味でいつも思い出す事があるのです。
「お盆」といえば日本では8月13日
(旧暦では7月13日〜15日)に祖先の霊が各地に戻ると
考えられ、迎え火や送り火を焚いて種々の食べ物を供え
その霊の冥福を祈る仏事として知られています。
そもそもはインドの釈迦の説話に由来し、日本には
1400年前の推古天皇の御代に中国から
仏教の伝来と共にもたらされたものです。
特にその1年内に亡くなった「新仏さん」の霊(魂)には
供物をのせた精霊舟を作り、15日の夕方に
灯りをつけて川や海に流す「精霊流し」も
楽しかった思い出の一つです。親戚のいとこ達が集まって、
洗い立ての浴衣にお気に入りの帯を結んでもらうと、
ちょっぴり”おねえさん”になったようで嬉しかったものです。
花火を買ってもらって皆で取り合いながら
その光の美しさを競ったりしました。
その日ばかりは皆で1日中遊べて最高の日、のはずでしたが
私にはいつも何かが物足りませんでした。
そして「何で私だけこんな日が誕生日になったんだろう」と
思っていたのです。正月に次いで、大人たちは忙しい時期なので
私の誕生日をまともに祝ってもらった記憶が無いのです。
「あら、うっかりしたわ」なんて1週間後に
思い出してもらえればいいほうです。
それ以来自分の誕生日は出来るだけ思い出さないように
していた気がします。そんな或る日、とある占い師からは
「あなたは地獄の釜の開く日に生まれたんだから、
前世では余程の悪人だったのか、それともこの地球人類の
救済のために希望して生まれてきたのかの
どちらかです。」といわれて
「こんな事なら聞くんじゃなかった」と思ったものです。
今となっては笑える事でも、子供の頃は
嫌な思いでとして残ってしまう事があります。
そんな事から「お盆」といえば、花火で遊ぶ事と
精霊舟を見に行く事だけが楽しみでした。

つづく

7月4日

7月福岡・8月東京・9月大阪では
”あなたの「存在」、どこにありますか?”という
自分の存在価値を問うレクチャーを行います。
これまでを振り返って”良い人であろう。”、”良い夫・妻・親であろう”、
或いは”良き上司・部下であろう”と日々努力を重ねてきた事が
その甲斐無く徒労に終わってしまった、ということが
誰にでもあるのではないでしょうか?
そこまでの
努力自体はとても貴重なものでした。
しかし、もしかしたらその方向性に問題があったのかもしれません。
知らず知らずのうちに”他者からの称号”を得るために
努力を重ねてきたのでしょう。

ではあなたは自分自身をどう評価してきたのでしょう?
一体どこに自分自身の価値を置いているのでしょうか?
今回は新しい自分自身の存在価値を発見します。